呉の三代皇帝孫休の妻・朱氏が、孫休の姉の娘にあたるのだそうです。つまり、姪を娶っている。ありえんだろこれ、と裴松之先生、激怒。ただこの件については後漢の士人、荀悦(荀のいとこ)が既に批判してるんで、おれからはそれ以上言わんよ、と仰っています。
なるほど、では荀悦の説(漢紀孝惠皇帝紀卷第五)を見てみましょう。
つまり裴松之先生は、これをまんま孫休の振る舞いに叩きつけているわけですね。
なるほど、では荀悦の説(漢紀孝惠皇帝紀卷第五)を見てみましょう。
四年十月,立皇后張氏。帝長姊魯元公主女也。太后欲爲重親,故配帝。荀曰:夫婦之際,人道之大倫也。《詩》稱︰「刑于寡妻,至于兄弟,以御于家邦。」《易》稱︰「正家道,家道正而天下大定矣。」姊子而爲后,昏於禮而黷於人情,非所以示天下,作民則也。羣臣莫敢諫,過哉!恵帝が張氏を娶った。姉の娘である。呂太后が親族を強化しようとした措置だ。荀悦は言っている、「誰と夫婦となるかは倫理の基。ゆえに詩経・思齊では「夫婦兄弟が国家を作る」といい、易の家人卦では「家が定まり、天下が定まる」と記す。姉の子を娶るなど、礼にも人情にも悖る! 天下に規範を示さねば、民も真似をはじめる。それを臣下が諫めないのは、過ちである。
つまり裴松之先生は、これをまんま孫休の振る舞いに叩きつけているわけですね。
コメントをかく