けめこ 様より頂きました。
時曹洪宗室親貴,有賓客在界,數犯法,寵收治之。洪書報寵,寵不聽。洪白太祖,太祖召許主者。寵知將欲原,乃速殺之。太祖喜曰:「當事不當爾邪?」故太尉楊彪收付縣獄,尚書令荀、少府孔融等並屬寵:「但當受辭,勿加考掠。」寵一無所報,考訊如法。數日,求見太祖,言之曰:「楊彪考訊無他辭語。當殺者宜先彰其罪;此人有名海內,若罪不明,必大失民望,竊為明公惜之。」太祖即日赦出彪。初,、融聞考掠彪,皆怒,及因此得了,更善寵。
楊公積之門,身為名臣,縱有愆負,猶宜保祐,況淫刑所濫,而可加其楚掠乎?若理應考訊,荀、孔二賢豈其妄有相請屬哉?寵以此為能,酷吏之用心耳。雖有後善,何解前虐?
(漢籍電子文献資料庫三國志 721頁 ちくま4-156)
(漢籍電子文献資料庫三國志 721頁 ちくま4-156)
鶏肋で有名な楊修の父、楊彪。彼は朝廷に対して忠節を大いに示したため、袁紹や曹操からだいぶ煙たがられていたのだそうです。さて荀が尚書令であった建安年間、楊彪に何らかの罪があり、処刑されることに。この当時処刑者は監獄でも拷問による取り調べが厳しく行われます。三公にまで至り、皇帝を大いに支えた大功臣に対しそれはどーよと荀や孔融が「どうか楊彪様に拷問をお加えにはなりませぬように」と頼んだのですが、満寵はシカトして拷問。そして曹操に「楊彪は拷問を加えても証言を変えませんでした。ともなれば実際に罪を犯したわけではないのでしょう。このように名声高きものの罪が明らかでないまま処刑されるとなると、公の名が損なわれてしまいます。それは避けるべきでございましょう」と進言。そこで曹操も楊彪を釈放しました。荀や孔融は楊彪に拷問が加えられたことに怒ったそうですが、これによって無罪となったことから、むしろ満寵を讃えるようになったのだそうです。
荀サマが絡むと一気に沸点が低下。裴松之先生です。
いや待て待て、孔融はともかく、荀サマ、荀サマが止めに入るようなお方よ? 実際に漢の名臣として名望を背負われて来られたようなお方に対して、みだりに拷問するとかどうなの? 満寵にしたってこれで能吏と呼ばれたってあるけど、ただ拷問したかったから拷問しただけでしょ? 確かに結果として楊彪は無罪になった、それはすごい。けど拷問したいって思ったその嗜虐心は帳消しにならんでしょ!
荀サマが絡むと一気に沸点が低下。裴松之先生です。
いや待て待て、孔融はともかく、荀サマ、荀サマが止めに入るようなお方よ? 実際に漢の名臣として名望を背負われて来られたようなお方に対して、みだりに拷問するとかどうなの? 満寵にしたってこれで能吏と呼ばれたってあるけど、ただ拷問したかったから拷問しただけでしょ? 確かに結果として楊彪は無罪になった、それはすごい。けど拷問したいって思ったその嗜虐心は帳消しにならんでしょ!
このページへのコメント
ありがとうございます!
武の悪より文の悪のほうがよりひどいのだ、と言うことなのでしょうかね……w
賈詡さんへのボロクソ度合いと比べると穏やかなコメントですねw