案魏延傳云:
「延每隨亮出,輒欲請精兵萬人,與亮異道會于潼關,亮制而不許;延常謂亮為怯,歎己才用之不盡也。」亮尚不以延為萬人別統,豈得如沖言,頓使將重兵在前,而以輕弱自守乎?且沖與扶風王言,顯彰宣帝之短,對子毀父,理所不容,而云「扶風王慨然善沖之言」,故知此書舉引皆虛。
(漢籍電子文献資料庫三國志 921頁 ちくま5-127)
解説
諸葛亮が、有名な「出師の表」にて北伐開始を宣言したところに、郭沖さんによる諸葛亮弁護五条のうち第三条が示されます。いわく、諸葛亮が陽平(漢中と蜀を繋ぐ場所、つまり前線ではない)に駐屯し、魏延らに東に向かわせ、自身は一万の兵で陽平に立てこもったとき、迎撃に出た司馬懿率いる軍二十万はうまく進撃がかみ合い、陽平の北、わずか 40km ほどの所に来れたのだそうです。しかしこの事態に対し諸葛亮はわざと悠然と撤退。伏兵を恐れた司馬懿はその場に釘付けとなるも、伏兵なぞ存在しないとのちに気付き、悔しがったのだとか。
どゆこと? と裴松之先生がツッコミをお入れになります。
ええと、司馬懿が出向いたとなれば第三回北伐以降だよね? けどそんな漢中の奥地で交戦したなんて記録あった記憶ないんだけど? それに二十万対一万って戦力差がわかりきってるなら、伏兵を警戒しつつ進んでも十分潰せるよね? だいいち諸葛亮って魏延のことぜんぜん信頼してないあまり魏延に「丞相は臆病だ」とまで言われてんのに、そんな諸葛亮がどうして魏延に軍を預けるの? そもそも郭沖ってこれ司馬懿の息子に向けて話していた内容だって建前なのに、息子に対して父親の残念なところをドヤ顔で語るアホっている? でも司馬懿の息子は納得したって言うんだよね? ならもう引いた記事がことごとく虚報ですよこれ。