裴松之先生の罵詈雑言劇場 - 舉引皆虛――巻三十五 諸葛亮

郭沖三事曰:亮屯于陽平,遣魏延諸軍并兵東下,亮惟留萬人守城。晉宣帝率二十萬眾拒亮,而與延軍錯道,徑至前,當亮六十里所,偵候白宣帝說亮在城中兵少力弱。亮亦知宣帝垂至,已與相偪,欲前赴延軍,相去又遠,回迹反追,勢不相及,將士失色,莫知其計。亮意氣自若,敕軍中皆臥旗息鼓,不得妄出菴幔,又令大開四城門,埽地卻洒。宣帝常謂亮持重,而猥見勢弱,疑其有伏兵,於是引軍北趣山。明日食時,亮謂參佐拊手大笑曰:「司馬懿必謂吾怯,將有彊伏,循山走矣。」候邏還白,如亮所言。宣帝後知,深以為恨。難曰:案陽平在漢中。亮初屯陽平,宣帝尚為荊州都督,鎮宛城,至曹真死後,始與亮於關中相抗禦耳。魏嘗遣宣帝自宛由西城伐蜀,值霖雨,不果。此之前後,無復有於陽平交兵事。就如沖言,宣帝既舉二十萬眾,已知亮兵少力弱,若疑其有伏兵,正可設防持重,何至便走乎?

案魏延傳云:

「延每隨亮出,輒欲請精兵萬人,與亮異道會于潼關,亮制而不許;延常謂亮為怯,歎己才用之不盡也。」亮尚不以延為萬人別統,豈得如沖言,頓使將重兵在前,而以輕弱自守乎?且沖與扶風王言,顯彰宣帝之短,對子毀父,理所不容,而云「扶風王慨然善沖之言」,故知此書舉引皆虛

(漢籍電子文献資料庫三國志 921頁 ちくま5-127)

解説

 諸葛亮が、有名な「出師の表」にて北伐開始を宣言したところに、郭沖さんによる諸葛亮弁護五条のうち第三条が示されます。いわく、諸葛亮が陽平(漢中と蜀を繋ぐ場所、つまり前線ではない)に駐屯し、魏延らに東に向かわせ、自身は一万の兵で陽平に立てこもったとき、迎撃に出た司馬懿率いる軍二十万はうまく進撃がかみ合い、陽平の北、わずか 40km ほどの所に来れたのだそうです。しかしこの事態に対し諸葛亮はわざと悠然と撤退。伏兵を恐れた司馬懿はその場に釘付けとなるも、伏兵なぞ存在しないとのちに気付き、悔しがったのだとか。
 どゆこと? と裴松之先生がツッコミをお入れになります。
 ええと、司馬懿が出向いたとなれば第三回北伐以降だよね? けどそんな漢中の奥地で交戦したなんて記録あった記憶ないんだけど? それに二十万対一万って戦力差がわかりきってるなら、伏兵を警戒しつつ進んでも十分潰せるよね? だいいち諸葛亮って魏延のことぜんぜん信頼してないあまり魏延に「丞相は臆病だ」とまで言われてんのに、そんな諸葛亮がどうして魏延に軍を預けるの? そもそも郭沖ってこれ司馬懿の息子に向けて話していた内容だって建前なのに、息子に対して父親の残念なところをドヤ顔で語るアホっている? でも司馬懿の息子は納得したって言うんだよね? ならもう引いた記事がことごとく虚報ですよこれ

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