臣松之以為
人有八尺之體靡不受患,防護風寒豈唯數處?取譬若此,未足稱能。若曰譬如金城萬雉,所急防者四門而已。方陟此對,不猶愈乎!
(漢籍電子文献資料庫三國志 1164頁 ちくま6-202)
解説
呉の末期、孫皓が紀陟を司馬昭の元に遣わせました。このときのやり取りを干宝『晋紀』が綴っています。それによると司馬昭が紀陟に「魏との国境線がこれだけ長いともなると、国土防衛も大変でしょうな」と語ったそうです。すると紀陟は「人体は八尺もの長さに及びますが、その中で病魔を侵入させぬために防ぐのは三、四箇所ほどに過ぎません。国土防衛にも同じことが申せましょう」と回答、司馬昭を唸らせたのだそうです。
は? 裴松之先生、食いつきます。
いやいや、人体でしょ? 三、四箇所しか病魔の入らないところがないなんてことある? どう考えてももっと多いでしょ、それなら巨大な城には四つの門があってそこからしか侵入できない、ってしたほうがまだわかりやすいんじゃない?