裴松之先生の罵詈雑言劇場 - 絶智者之口――巻三十六 関羽

蜀記曰:「権遣将軍撃羽,獲羽及子平。権欲活羽以敵劉曹,左右曰:『狼子不可養,後必為害。曹公不即除之,自取大患,乃議徙都。今豈可生!』乃斬之。」

臣松之按呉書:

「孫権遣将潘璋逆断羽走路,羽至即斬」,且臨沮去江陵二三百里,豈容不時殺羽,方議其生死乎?又云「権欲活羽以敵劉曹」,此之不然,可以絶智者之口。

(漢籍電子文献資料庫三國志 941頁 ちくま5-172)

解説

 関羽、死亡! これに関する情報が、王隠『蜀記』に載っていました。
 孫権が将軍を派遣、関羽と息子の関平を捕えました。はじめ孫権、関羽を生かしておいて、劉備や曹操に対する切り札にしようと考えたそうです。しかし周囲は関羽親子を狼に例え、曹操にすらなびかなかった関羽がどうして孫権になびこうというのか、と諫めました。このため孫権、関羽親子を斬り殺したのだそうです。
 裴松之先生、事実関係を引き合わせて憤然。
 潘璋が関羽親子を捕らえ、殺したのが臨沮。孫権が駐屯していた江陵からは軽く 110km は離れている! そんな距離があって、どうして関羽の生死を孫権が問うことなぞできたと思うのだ! そもそも他ならぬ関羽伝で関羽と孫権の関係性が最悪になっていたのに、今更利用どうこうなぞといった話になるはずがない! これだけありえん発想は、知者の口からでは吐かれようはずもない
 どんだけ中指おったてれば気がすむんですかこの人……。

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