臣松之以為
孫、劉于時號為專任,制斷機密,政事無不綜。資、放被託付之問,當安危所斷,而更依違其對,無有適莫。受人親任,理豈得然?案本傳及諸書並云放、資稱贊曹爽,勸召宣王,魏室之亡,禍基於此。資之別傳,出自其家,欲以是言掩其大失,然恐負國之玷,終莫能磨也。
(漢籍電子文献資料庫三國志 459頁 ちくま3-092)
解説
魏の明帝、曹叡がいまわの際にて後継者のサポートのことを相談をします。はじめ曹宇がよいのではと言うことになったのですが、曹宇が固辞。だので劉放と、その同僚の孫資を呼び寄せ、誰が適任かを相談。ここで曹爽が候補にあげられました。一方で司馬懿も呼ばれ、司馬懿にも後継者をサポートするよう伝えます。けど明帝、やっぱり司馬懿に大任を負わせるのは恐いと心変わりし、いったん司馬懿をのけ者にした状態で後継者サポートにまつわる人事の詔勅を作成。そして出来上がったあとに改めて司馬懿を呼び、詔勅を授けました。そして死亡。
この一連の流れには凄まじく分厚い中もついていますが、まぁ割愛。劉放と孫資は明帝のそばにあって枢要に多く関わっていたにもかかわらず、決断を避けふわふわした回答ばかり。こうして曹爽と司馬懿の対立という、魏にとって致命的な災厄を招くことになったとします。孫資に関しては、別口の資料で美辞麗句を並べて「私にはサポート態勢の人事についての判断が仕切れない」などと語っているのですが、そんな白々しい言葉でいちど入った国のヒビを磨いて埋められるもんかよと先生はお怒りです。
なお然恐負國之玷,終莫能磨也。は詩経「抑」の、
白圭之玷 尚可磨也
斯言之玷 不可為也
白き宝玉は、多少欠けても
磨けば美しさを取り戻す。
王の言葉に落ち度があれば、
もはや取り返しがつかぬ。
からの援用です。