臣松之檢諸書
都無此事,至諸葛誕反,司馬文王始挾太后及帝與俱行耳。故發詔引漢二祖及明帝親征以為前比,知明帝已後始有此行也。案張璠、虞溥、郭頒皆晉之令史,璠、頒出為官長,溥,鄱陽內史。璠撰後漢紀,雖似未成,辭藻可觀。溥著江表傳,亦粗有條貫。惟頒撰魏晉世語,蹇乏全無宮商,最為鄙劣,以時有異事,故頗行於世。干寶、孫盛等多采其言以為晉書,其中虛錯如此者,往往而有之。
(漢籍電子文献資料庫三國志 133頁 ちくま1-321)
解説
魏国内で司馬氏・司馬昭の権勢がどんどん高まる中、毋丘倹の乱が勃発。ここで郭頒が『魏晋世語』にて司馬師が曹髦を奉戴、討伐に赴いたけれど、到着した頃にすでに乱は平定されていた、と記しました。
さぁ、噛みつきます裴松之先生。こんなデタラメどこにも書いてねーよとぶった切ったのち、それにしたって張璠、虞溥、郭頒と言った西晋の時代の歴史著述者どもはとにかくアレ、とは言え張璠、虞溥はまだマシ! 郭頒ひとりがズタボロの筆致で抑揚もクソもなく、ダントツで最悪! とは言え耳を引くゴシップがあるから広く読まれてるんだよねー。しかも何がタチ悪いって、東晋の干寶、孫盛が郭頒のこのクソブックに取材するから、トンデモネートバし記事を平然と書いちゃうわけさ! と、全方面に向けてぶん殴っておられます。