君子曰,
不然;苟所寄忠賢,則不須若斯之誨,如非其人,不宜啟篡逆之塗。是以古之顧命,必貽話言;詭偽之辭,非託孤之謂。幸值劉禪闇弱,無猜險之性,諸葛威略,足以檢衞異端,故使異同之心無由自起耳。不然,殆生疑隙不逞之釁。謂之為權,不亦惑哉!
(漢籍電子文献資料庫三國志 914頁 ちくま5-119)
解説
劉備が死亡する際、諸葛亮にすべてを託しました。それを受けて劉禅体制を整えようと諸葛亮は奔走します。しかし大小にかかわらず全部諸葛亮が決裁とかやべーわね。そんなん部下十人ぐらいまでしか許されない暴挙じゃね?
ともあれ、この辺りの話に対して孫盛さんが噛みつくのです。え、君主の才能を見極めてからその動きを決めろって、劉備が出した命令って支離滅裂にもほどがあるんじゃね?
一方、世間では、いやいや、この委任によって民心をより固めさせるための方便でしょうよ、と語られていたそうです。
そこに孫盛さんは反論を加えるのです。あんた君子なんだ。
遺命で適当なことなぞ言えるはずがないでしょうよ。だからこういうのは文章に残さず、口頭でなされるんです。つまり劉備のこの発言が適当な、その場限りの方便だったなんて事はまずありえません。実際、劉禅は確かに暗愚でこそあったものの、猜疑心とかは持ってなかったから諸葛亮が全権を振るえたわけですよね? つまり劉禅と諸葛亮が上手くいったのは偶然。劉備の発言はあくまでデタラメなものでしかないんです。方便だなんて、そんなわきゃないでしょうよ!
これ裴松之先生、孫盛さんに賛同してますね。珍しい。