臣松之以為
諸葛誕舉淮南以與吳,孫壹率三百人以歸魏,謂吳有釁,本非有理之言。毓之此議,蓋何足稱耳!
(漢籍電子文献資料庫三國志 391頁 ちくま2-469)
解説
鍾毓はみんなのアイドル、蜀を滅亡させたそばから謀反を起こして滅ぼされたあの鐘会くんの兄上。世説新語でもわりと鐘会くんのコンパチ扱いです。まぁ兄貴は鐘会くん滅亡後も引き続き魏で立身していて、鐘会くんがどういう扱いだったのかをなんとはなしにほのめかしてくれているんですけどね。
諸葛亮の親戚、諸葛誕。彼は魏に仕えていましたが、司馬氏の専権を嫌って謀反を起こし、呉軍と手を組みました。司馬昭は鍾毓を引き連れ、討伐に向かいます。すると呉軍から孫壱と言う将が千人弱を引き連れ、投降。あるものは「どうやら仲間割れをおこしているようだから、このまま放っておけば瓦解するのではないでしょうか?」と言い出しましたが、鍾毓は「千人弱の投降なぞ、反乱軍全体からしたら微々たるものでしかない。これで事態が収束に向かうとは思えない、このまま動いて討伐すべきだ」と提言。司馬昭も鍾毓の提言を採用しました。そうして諸葛誕の乱を鎮圧、鍾毓は昇進します。
裴松之先生、ん? と首をかしげます。
いやそもそも論としてたった千人弱の投降で内輪もめを想定する方がおかしくない? そんな無茶な話棄却する以外ないし、別に讃えるほどのことでもなくない? とのことです。
いや記録してあるだけで讃えちゃないだろ。