裴松之先生の罵詈雑言劇場 - 引虛記以為言――巻三十五 諸葛亮

魏書曰:亮糧盡勢窮,憂恚歐血,一夕燒營遁走,入谷,道發病卒。

漢晉春秋曰:亮卒于郭氏塢。

晉陽秋曰:有星赤而芒角,自東北西南流,投于亮營,三投再還,往大還小。俄而亮卒。

臣松之以為亮在渭濱,魏人躡跡,勝負之形,未可測量,而云歐血,蓋因亮自亡而自誇大也。夫以孔明之略,豈為仲達歐血乎?及至劉琨喪師,與晉元帝箋亦云「亮軍敗歐血」,此則引虛記以為言也。其云入谷而卒,緣蜀人入谷發喪故也。


(漢籍電子文献資料庫三國志 926頁 ちくま5-140)

解説

 諸葛亮サマ、五丈原にてついに死亡。このときの話として、「魏書」「漢晉春秋」「晉陽秋」の三書を引いて解説を加えます。諸葛亮が第五回北伐に行き詰まって吐血し、撤収するもその後死亡したこと、その場所が郭氏塢であったこと、そして赤い星が三つ諸葛亮の陣営に落ちて、はじめ二回は天に戻ったけど三回目は落ちたままだった、そして間もなく諸葛亮が死んだこと。
 うーんこの、と裴松之先生がぶった切られます。
 いやいや第五回北伐で渭水を挟んで魏軍と対陣したとき、勝敗の行方はまだ見極めきれなかったよね? 勝手に亮サマに吐血させて、自分たちがすごかったって言い張りたいんだろうね! そもそも亮サマの知略がどうして司馬懿なんぞに劣ろうって言うのさ! こいつを信じた後世の武将、劉琨まで石勒に追い詰められたとき東晋元帝に宛てて「諸葛亮も敗れたとき血を吐きました」と語ってますが、これってデタラメを引いて発言してるんですー! だいたい「谷に入って死んだ」って、谷に入って(安全を確保したところで)初めて喪を発しただけであって、その辺の時系列もいいかげん! 

皆様のコメント