臣松之以為
忠至之道,以亡己為理。是以匡救其惡,不為身計。而阜表云「使國亡而臣可以獨存,臣又不言也」,此則發憤為己,豈為國哉?斯言也,豈不傷讜烈之義,為一表之病乎!
(漢籍電子文献資料庫三國志 707頁 ちくま4-129)
解説
明帝曹叡は明君とされることが多いのですが、一方で各人物の列伝を眺めているとあらゆる人間から贅沢をいましめる諫言の集中砲火を浴びています。それだけ晋の時代の皇帝たちに対しても陳寿は贅沢禁止を訴えたかったのでしょうね。ともあれここでは馬超らに代表される涼州系軍閥からスカウトされた文官の楊阜が曹叡に向けて諫言。
王者とは天下を家とするもの、ならば王者が周辺の災いよりも享楽にうつつをぬかせば家は傾き、ともすれば滅びかねません。だと言うのに陛下は贅沢三昧。ここで家が滅びたときにこの身が滅びずに済むのでもあればこのようなこと申しもせぬのですが、そうではございません。なればこそ申し上げておるのです、……と、そこから更に楊阜さんは諫言をなす、のです、が。
裴松之先生、ひっかかります。
いやいや、なんで自分の話持ちだしてんねや。忠ってのは己を殺してお国のために働くって事でしょ。だのに「国が滅んでも自分が生き延びるなら言わない」? それってつまり国のために怒ってるわけじゃなくて自分のために怒ってるわけだよね? こんなもんを文言の中に差し挟んじゃったらあんた、上表そのものの意義そのものを損ねることに気付けてないの?
波間丿乀斎
いや楊阜さんって「もとの家を損ねてそれでも身を全うした」ひとなわけですし、「今度の家は損ねさせないぞ」って意図混じってるでしょこれ……裴松之先生、その噛みつき方は正直どうかと思うな?